Sign〜Bank

まだ、若かりしころ、旧三菱銀行(今はなんと言うのかわからない)へ口座を作りに行った。一応、預金をしに行ったと言うほうがわかりいいかもしれない。応対してくれたのは中年の男性行員で、昔はよくこんな行員さんがフロアに立っていて、用件を言うとさっと用紙を出してくれて、説明までしてくれたものだが、最近はこんな接客態度には出会ったためしがない。もちろんこれは東京にいたころの話しだが、生意気盛りだったわたしは判子を持たずに行ったのである。免許証もまだ取得していないころだったので、多分、住所と名前を適当に書いても作ってくれたのではなかったかと思う。まあ、これは後で自分が困るので、でたらめの住所を書く人はいないだろうけど。

判子はありますか?といので、ない!というと、できれば判子を御持ちになった方が・・・と言うので、サインではだめか?というと、しばらく行員は考えていた風だったが、いいでしょうと言った。

そこで、わたしは通帳の判子を押す部分に手書きで自分の名前を書いた。そしてしばらくそれで通した。もっとも、すでにキャッシュカードが普及していたので、その後、サイン(判子)を使う必要はほとんど無かったように記憶している。

サインも英語だったか、日本語だったかはもう覚えてないが、大学に入ってすぐの講義でサイン(英語)の練習をさせられたので、たぶん、生意気にも英語でしたのかもしれない。英語のサインはこの他にも、ハワイへ行った時に、トラベラーズチェック(旅行者用小切手)にしたものを、お土産売り場のおばちゃんにほめられた。そのバイリンガルのおばちゃんは日系人なのか、日本人のサインはみんなへただと日本語で言っていた。別に自慢にもならないが、当然今でも書ける。

めったに使わないが、カードでもサインを要求される時がある。カードの裏に前もって書いておけばいいのだが、たいていそれをしないので、そんな時は、はて英語でしようか日本語がいいか、ちょっと迷う。が、だいたい店員の顔を見て頭が悪そうだったら日本語で書くことにしている。

日本語でのサインというと、「花押」が日本古来のものなのではないかと思うのだが、現代ではこれは大臣にでもならなければ使う必要もないのだろう。大臣は協定書か立法の時にだったか、これに「花押」を書いて了承の意を表すらしい。昔は武士が書面を交わす時に用いた。

前述の章にも書いたが、 高校の時の書道の時間に、叢書か行書かよく種類はわからないのだが、つまり一筆書きのような書体で自分の名前を書かされた。これはあとになって気づいたのだが、花押なのではないかと思っている。これももちろん書ける。

前述の銀行のサインの話に戻るが、たとえば外国人はどうなんだろう。絶対判子でなければだめなんだろうか?今、私が新潟の第四銀行あたりへ行って口座を作りたい、しいては判子を持っていないので、サインではだめか?と申し入れをしたら、即座にお帰りください、だろう。

当時の三菱銀行は顧客獲得キャンペーンでもやっていたのか、それほどもめることもなく、すんなり預金者の要求を受け入れてくれた。今もできるかどうかの保障はないが、時も経ていることだし、それくらい銀行のサービスも預金利率とともに低下しているだろうと予想はできる。

昔は銀行側が待ち構えていて、応対してくれたのが、今は番号札を自分で取って、呼ばれるまで待たされる。そうでなくても振込用紙なんて持っていこうものなら、ATMでやってくれ、といわれる始末である(第四銀行で実際あった話)自分の金を下ろすのに、手数料を取られる。身の保身のための合併や倒産で前の名前の銀行は大半なくなったのではないか、と思えるくらいである。それでも銀行員志望者は後をたたない。給与水準が高いからだ。しかしそれらの金(利息)は金が生んだ金だ。生産性などひとかけらもない。しかし、それらがないと経済はうまく回らない仕組みになっている。

銀行は資本主義経済の幼少記において、存在と威力を発揮するが、こと過渡期にいたってはどうなるんだろう。マル経や近経を学んだ人ならわかるのかもしれないが・・・。

ネットバンキングもサービスが徐々にではあるが充実してきているみたいだし、いっそのこと、既存の銀行は全部つぶして、国管轄の国民金融公庫みたいなものを複数つくり、これらを競合させればよい。民間の銀行はネットバンキング以外、いらないのではないか。


だれか、サインで銀行預金通帳がつくれるかためしてみませんか? できれば第四銀行本店で・・・。

・・・この項おわり
-- 祐 筆 --