| ギヤンブルというか勝負事は結構好きで、あれこれ覚えた。小学校のころは将棋はもちろん、親父がマージャンを覚えてきて、彼は外でするのではなく、家庭に持ち込んだ。よって母親、妹、私を巻き込んでよく家庭マージャンをした。妹はまだ小学校の低学年でなんだかよくわかりもしないのに人数合わせのために無理やりやらされていた記憶がある。眠そうに目をこすりこすりやっていた。
親父の熱も冷め、家庭内ブームも過ぎて、私は高校生まですっかりマージャンパイを忘れていたのだが、高校のころはそれこそ始めたばかりの連中は面白がって「やろうやろう」と言ので、よく友人の家へ週末になると集まっては徹夜マージャンをした。同窓生の親で結構金持ちがいたらしく、別宅を構えている人がいて、そこでよくやった。
徹夜といっても、朝になればその辺でごろ寝して目が覚めたら帰るというくらいなもので、外で夜遊びをしていたわけではないので、親もけっこう自由に泊りがけで出してくれた。夜なぞ他に遊ぶ場所もなかった。
金持ちの別宅といってもおめかけさんを囲っていたわけでもなく、今思えば税金対策か、周りは田んぼだらけのかえるの合唱、部屋も二間くらいの「大草原の小さな家」ならぬ「大圃場の小さな家」だった。
その後、大学、社会人になってもマージャンは続けた。よく腕3分の運7分というが、それくらい運(その日の)が左右するゲームであると今も思っている。
最近はまわりにマージャンのできる人間が少なくなって、若い連中に「マージャンできる?」と聞いたりすると「ああ、昔ゲームでよくやりましたよ」という答えが返ってきたりする。
テレビゲームなんかじゃねー・・・と叫んでも虚しい。
ポピュラーなところで、習得しなかったのは囲碁くらいで、まじめに碁会所へでも通おうかと思ったこともある。
今、碁会所なんてあるんだろうか。そのうちNHKの囲碁講座の番組に夢中になって孫に嫌われるのだろう。
競馬は一年間、毎週渋谷場外へ買いに行く人に頼んで、重賞とその前後のレースを3点買いの連勝複式で買っていた。今はもっと複雑になったらしいが・・・
一年間みっちりやって、毎週の競馬新聞にいくら勝って負けたかを書き込んだものをトータルしてみると「とんとん」だったのできっぱりやめた。思えば知らずにデータベースを作っていたjことになる。もっとも競馬はデータが勝負というくらいだから、そうなのかもしれないが、当時いろいろな予想があって一番当たらなかったのはコンピュータ予想だった気もする。
競馬予想紙で予想をしている人の年間の成績が発表されることがある。つまり予想紙に発表される予想通りに買ったらどうなるかというもので、当時「競馬エイト」で予想をしていた、大橋巨泉が一年通してプラスだったというので大騒ぎしていた。それもたいしたプラスでもないのに・・・。他は全部マイナス・・・いかに儲からないかわかる。
つまり、競馬で儲けたやつはいないの一言につきるのである。なにせ、国相手にテラ銭払って国相手に博打うってるようなものだもの。これは相手が悪い!
そこできっぱりやめた。
時たま、ここ一番という「じゃんけん」とかに買ったとか(内容は雨の中誰がタバコ屋までタバコを買いに行くかなど)、人と一緒に買いに行った地方宝くじで自分だけ5,000円当たったとか、いう類のものは今でも結構ある。
数年前の某ホテルで忘年会か新年会の催事で取引業者が一同に集まり(50人くらいか)ビンゴ大会を開いたことがあった。私はストレートの最短距離で一等賞を引き当ててしまい。そのホテルのディナー券をもらった。賞品をもらい、席に引き上げてきた私に隣席の人は「よかったですね。わたしなんかぜんぜんだめですよ」と邪心なく話しかけてくれたのだが、私は「こんなところで自分の運を使い果たさない方がいいですよ」とつい言ってしまった。
実際、二等賞は「こしひかり」で三等賞は「フランスワイン」だった。そちらのほうがどれだけうれしかったか…。
結局、ディナー券は会社の女の子にあげて、わたしはこのことはなかったことにして、いつかもっと大きなものが当たるさ、と心に決めたのだが、今でも結構「くだらないもの」はよく当たる。
今年に入ってから、ガソリンスタンドのスクラッチで「チョロQ」をもらったし、大型電気店に行けば何も買わないのに「醤油」一本もらうし、コンビニ行って缶コーヒー一本買っただけでテッシュペーパー一箱もらうし、取引先ではビール券、みかん一個…数え上げればきりがない。
そういったものはたいてい人にあげておしまいなんだけどね。
本当に欲しいものはまず、当たらない。それより「私の運気」がろうそくの最後のともし火にならないか不安である。 |