夢といっても希望とか将来の夢とかではなく眠っているときに見る夢の話です。
ちょくちょく見る夢というの誰しもあると思うが、10代20代30代と年代によってよく見る夢が違ってきたような気がする。10代に見た夢はもう忘れてしまったが、20代によく見た夢は空を飛ぶ夢だった。
それもスーパーマンのようにすいすい飛び回るのではなく、まず地上から助走をつけなければならない。両側がかなり開いている(3メートルくらいか?)道路のしかも、周りに人も車もいない自分1人のご都合主義のシチュエーションで、時刻は夕暮れ時かまだ誰も起きていない朝方か、とにかく辺りは薄暗い状況。そんな中を(どんな中だ?)軽く走り出す。
オリンピックの陸上競技で見る助走のように(棒高跳びもしくは3段跳びを想像してください。)初めはゆっくり徐々に速くという感じで50メートルくらい走るとフワリと身体が宙に浮くのだ。そのまますいすい行けばよいのだが、そこは夢、思うようなコントロールができないようになっている。
夢の中だからコントロールできないのか、(今まで夢の中で何かをコントロールする状況でうまくコントロールできたためしがない)言い忘れたが助走用道路の脇には何故か電柱ならびにそれに伴う電線が、家や商店らしきもの、もしくは田圃や畑などという風景を完全に破棄してディスクトップの壁紙のように存在するのだった。(しかも3D遠近法で)
そこで私の身体は宙に浮いたはいいが、その電柱に張り巡らされた電線の高さくらいまでしかいかないのだ。電線に触れると感電するのではないかと夢の中で心配し、早く飛び越そうとかなるべく近づかないようにとかおろおろ、うろうろしている間に目がさめる。
また、別バージョンでは時々もう少し上空まで昇れることもある。その時は下界の景色が結構はっきり見て取れるけれど、やはり夜もしくは明け方の薄暗い光景だ。月明かりのやや明るい夜景なのか明け方の朝日が昇る前の薄暗さなのかはっきりしないけど、はっきりしない光景が見えることは見える。
その時は工場や変電所、森、住宅などもおぼろげながら見ることができる。おそらくその光景は自宅のまわりの景色を住宅地図にかぶせたものだと思うのだが。
フロイトだったか誰か高名な科学者の夢の分析の聞きかじりではレム睡眠とかノンレム睡眠とか、深い眠りと浅い眠りが交互にやってくるらしい。
実際に深い眠りに陥るのは一日の眠りに中で2時間くらいで人間の最低睡眠時間はその深い眠りの2時間で十分という話を聞いたことがある。
夢はその深い眠りの最中に見るのではなく、浅い眠りの時に見るらしい。ということは半分起きている状態なのか、ともかく起きていても寝ている人もいるし、詳しいことはわからない。
学生時代、徹夜マージャンをやろうということになると半チャン(マージャンを知らない人のために1ゲームといったほうがいいか最近マージャンを知らない若者も多いと思うがマージャンの話はまたいつか書こうと思っている)をやっている間、5人いたりとすると1人余ることになる(マージャンは4人でやるゲームです。)
その時その余っている友人が部屋が狭いこともあって立ったまま寝ていたのを見たことがある。実際に眠っていたのか現実世界と夢の世界との間をさまよっていたのかわからないが、本人は確かに寝ていたと主張していたからたぶんそうなんだろう。
壁に寄りかかっていたから実際には直立不動で寝ていたわけではない。
20代で見た夢がちょっと現実離れした夢なら30代でよく見た夢はよほどリアルだ。それは仕事だったり、あるいはスーパーへ買い物に行ったりした時の事なんだけど、車で出掛けて駐車場もしくは路上駐車で用事を済ませに行く。人(商談?)に会ったり、スーパーの場合は買い物をしたりで、用事を済ませて駐車場に戻ってくると「車がない!」
周りの人に聞いたりあちこち探し回るけれど結局ない!これもそのあといろいろシチュエーションがあるのだけれど、スクラップにされていたり、違反切符をきらされたり結末はいつも悲惨だ。というより自分の思ったとおりにいかないことが多い。
この時ばかりは目が醒めたとたん「夢でよかった」と思う。でも、よく見る夢ではある。 これを悪夢という。
夢は潜在意識の表れであるとも聞いたことがある。ともあれ、いい夢を見た朝は、その日一日まだ夢の続きをそのまま見ていたい気分になる。現実に引き戻されるまでは・・・。
結構歴史が好きで(その辺は現実的か?)豊臣秀吉の辞世の句(死ぬ間際に詠む歌?亡くなるだいぶ前に用意しているということもあるらしいが)が夢というテーマでは思い起こされる。
つゆとおち つゆときえにし わがみかな なにわのことも ゆめのまたゆめ
秀吉は学歴がないため自筆の文書もひらがなが多いと聞くゆえひらがなで書いてみました。(もし本物が漢字も混じっていたらすみません)
「なにわ」は今の大阪のことと思いますが、これを現代の「社会」もしくは「世界」と置き換えてみたらどうでしょう。個人的にも好きな句です。
映画マトリックスではありませんが、現実なのかバーチャルなのか結局は「ゆめのまたゆめ」なのかもしれません。 |