| ......時と金のない世界
知人のおじさんが亡くなられた。K氏のおじさん。
幼い頃から身近の人間が死んだということがあまりないので、人の死というものに鈍感になっているのかもしれない。(テレビの報道のせいでは決してない)
若かったころは、それほど死というものが身近になかったせいか「ああ、いずれは俺も死ぬんだ」くらいの感覚で、それでも突然夜中に自分の肉体そのものがこの世から消滅すると想像しては恐怖感を感じることはあっても一瞬で、その後「まだ時間はあるさ」と言い聞かせては「自分の死」といものからはわざと遠ざかっていたのかもしれない。
この年になればさすがに祖父母はすでに鬼籍で、かみさんの実父もすでに亡くなっているが、まだ結婚前に一度会ったきりだからさほどショックもなかった。母方の祖父母は幼い頃可愛がってもらったせいもあり、葬式にも出たが、かといって涙が出るほど悲しんだわけでもない。どちらかというと天寿を全うしたほうだと思う。父方の祖父母の葬式にいたっては「出なくてもいいよ」と言われてそれきりで、子供たちだけで済ませてしまったらしい(私は孫)それくらい淡々としたものだった。
前にも書いたが、若い頃は吉田拓郎の唄にずいぶん感化されていたころがあって(彼のファンはなぜか男が多い)そんな格好をしていたころもあったが、時折歌詞などを思い出しては独りで口ずさんだりする。
「イメージの唄」は大好きな曲のひとつでもあったが、詩がすきで、ちょっと皮肉っぽいところが、性格に合っているのかもしれない。
人の命の絶える時が来て 人は何を思う
人の命の生まれる時は 人はただ笑うだけ
という一節をふと思い出しました。
いつまでも若いわけでもなく、30前は「30まで生きるなんて信じられない」くらいに考えていたのが、いつのまにか40も過ぎ、さすがにこれくらいの年になると周りでごく親しかった人も亡くなったり、縁遠くなった人も風の便りで聞かされたりするとしんみりしてしまうのです。10年ほど前に開いた同窓会でも先生方はもちろん同窓生でも何人かはすでにこの世の人ではなくなっていました。
「死」という感覚は人それぞれ違うだろうし、死生観ということになると話がさらに難しくなるが、私の場合は死というものに直面すると何も考えられなくなって、それこそ「ぼーっ」としてしまうのです。
何も語れない......何も考えられない......五感が麻痺......
ともあれ、長寿国ニッポンといえど不老不死の人間はいないのであって、いずれは自分もあの世とやらへ行かざるを得ないわけで、そう思うと今のうち好きなことをして暮らすか、徳を積んで地獄へ落ちないようにするか・・・・たぶん後者の選択は遅すぎると自分でも思う。 |