| 夏休みには学生の合宿所にもなる西方寺。時折散歩に来たおばあちゃんが縁側に座ってお昼を食べていたりする。健康のためどこぞから日課として通ってくるそうです。
檀家衆が持ち回りで掃除をしているのか建物が古いことを除けばそこそこ綺麗だが、茅葺の屋根なので吹き替えの時は昨今の萱不足で大変だそうだ。
実は以前足繁く通ったところでもある。もちろん撮影のためで、おかげさまで何の賞だったか忘れたが二つほどもらった記憶がある。普段は無人の寺で、近くに同じ名前の寺があり、実際はそちらに移転したらしいのだが、逆さ竹のこともあり、解体せずにそまま史跡として保存されているらしい。ちゃんとご本尊もあり、たまにもう一方の西方寺からご住職がお経をあげにくるようだ。
黙って、あちこち見ていると頼みもしないのに、郷土史家みたいなおじいちゃんが自転車に乗ってどこからともなくやってきて、説明を始める。ほとんど本の受け売りで、聞きたくもないが、知らんふりをするわけにもいかないので、話に相槌を打ったりして、相手になってやる。年寄りには敬意を払わなければならない。ただし、自分の知らない知識を持っている年寄りのみだ。
さて肝心の「逆さ竹」だが以前撮影で通っていた頃に檀家衆の一人と思われる方が竹の剪定をしている時に見せてもらったことがある。何が逆さかと言うと枝葉のことで、普通の竹は下から上へ生えるのが上から下へ生えるのだという説明を聞いた。全部が逆さに生えているわけではなく、いわば突然変異なので見つけるのは容易ではないとうことでした。その時はたまたま見せてもらったけど、写真に撮るほどのものでもないなと思い。フィルムには納めていません。
まあ四葉のクローバーみたいなものかな?
親鸞聖人が何故この地にやって来たのかはよくわからない。ただ、現在は新潟市であり、都や国府(上越市)の方から見ると北にあたる。もう少し北上すると、坂上田村麻呂が築いたとされる「停足柵(むたりのさく)」(西暦647年)があり、(現:新潟市沼垂)さらにかなり北上するが、「磐舟柵(いわふねのさく)」がある(地名としては現:新潟県岩船郡というのがある)これは、たぶん新潟県村上市あたりなのだろうか。柵といっても一種の砦みたいなものだったのではないかと思われる。
鳥屋野は大河「信濃川」のほとりだ。食物が豊富だったのかもしれない。またこれも推測だが、親鸞聖人はここの草庵に暮らしていたというから、西方寺はその跡なのではなかろうか。
逆さ竹は突然変異の一種なのだろう。それもあまり珍しくない種類なのではないか。日本中でここだけではなく、探せばあちこちにあるような気もする。たまたま親鸞聖人が一時期住んでいたために、話としてこじつけられたものと私は思う。 |